1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号
その他にハンガリア人、ルーマニア人、フインランド人、イタリア人、ユーゴスラビア人、それからポーランド人というようなものがおり、日本人は約二十名くらい、武部長官であるとか、村上中将、谷塚中将というような方であります。その分所から約二キロ離れた所に、一つ同じラーゲル番号の第二分所がありました。これには日本人が約一千五百名、ほぼ同数のドイツ人捕虜、これが混合して住んでおつたようであります。
その他にハンガリア人、ルーマニア人、フインランド人、イタリア人、ユーゴスラビア人、それからポーランド人というようなものがおり、日本人は約二十名くらい、武部長官であるとか、村上中将、谷塚中将というような方であります。その分所から約二キロ離れた所に、一つ同じラーゲル番号の第二分所がありました。これには日本人が約一千五百名、ほぼ同数のドイツ人捕虜、これが混合して住んでおつたようであります。
亡くなられました将官は喜多中将、村上中将、池田少将、高澤少将、野溝中将、小野少将、中尾少将、上村中将、上山満軍少将、立川満軍少将、米山満軍中将、近江獸医少将、小林海軍中将、井上満洲国参議、川目少将、土屋少将、志方少将、有村少将、向日満洲軍少将、尚将官ラーゲルにちよつとおられて入院して亡くなつた深見関東軍通訳というような者があります。